恥じは書き捨て

平成生まれゆとり世代の雑記です。書く仕事をしています。隠し事はそんなにありません。

東北出身だけど訛れない私が「おらおらでひとりいぐも」を読みました。感想。

おらおらでひとりいぐも 第158回芥川賞受賞

 

東北弁のタイトル、芥川賞受賞などでずっと気になっていたのですが、やっと読むことができました。淡々とした中に何か熱いものが含まれていて、とっても面白かった。

 

私は山形県出身なので、東北訛りはいつも身近にありました。(でも喋れません)

なので本文中ひらがなで延々つづられる東北弁もスイスイ読み進めることができましたが、これ東北以外の人はどうなんだろう。結構読むの大変なのかな?

 

なんとも不思議な小説です。主人公・桃子さん(74歳)が、「老い」「死」「郷里」「孤独」と向き合う様子、自分自身の人生と重ねるよりかは、福島の祖母のことを思わずにはいられませんでした。去年から認知症が進行し、今は介護施設で暮らす父方の祖母のことがなんども頭をよぎりました。彼女は桃子さんより20も歳上、来年には94歳になります。(ちなみに母方の祖母も同じくらいの年齢で、認知症にはなっていませんが足が弱くなり、歩くのは結構大変です。)

 

はっきり言って、父方の祖母は私をあまり可愛がってくれませんでした。

会えば何かと容姿をディスられ(整形したほうがいいんじゃない?的なことを真顔で言う)、私の弟(イケメン)ばかりチヤホヤし、弟にだけおこづかいをあげたりするので、好きか嫌いかで言ったらそりゃ・・・多分次会う時は・・・

 

とはいえそんな彼女にだって、幼少期や新婚時代、子育てに奮闘した頃や孫の私の手を引いて初詣に行った日があったのだなあと思うと、なんだか切なくなりました。

 そして、自分もいずれ同じようになるんだなあと。年老いた時、やっと祖母の気持ちが理解できるのかもしれません。それまでは嫌いなままかもしれません。

 

最後、東北弁について。私は全然喋れません!両親も東北(福島)出身なのですが、小さい頃から家の中では標準語オンリー。学校の友人や街なか(スーパーの店員さんとか)が喋っている山形弁が理解できるレベル。友人の家に行って親御さんやじいちゃんばあちゃんが話す山形弁となると全然わかりません。

2009年、大学進学を機に上京後、いちおう東北出身としてのアイデンティティみたいなものもあり、「山形って何が有名なの?」「東北に旅行に行こうと思うんだけどおすすめは?」みたいな質問にはある程度回答できます。ただ「本物の山形弁が聞いてみたい!」とかそういうリクエストにだけはどうしても答えられません。別に訛りを隠してるわけじゃなくて喋れないんですね。

この作品にも、小学校の教科書にでてくる「ぼく」「わたし」の一人称に戸惑ったこと、上京してまもない桃子さんが標準語に適応していく様子などが描かれていました。

 

東北弁ってちょっとまぬけというか、ダサい、みたいな風潮、8年前までは普通にありましたよね。東日本大震災を機にそういう風潮自体も不謹慎みたいになって今はだいぶ変わってきましたが。

これについては別の記事で書こっと。

 

 

東北弁で思い出したんですけど、これも東京にいたときよく言われました。

「東北の中でも山形の人って、訛りを隠さないよね。

(そのわりに君は全然訛ってないんだね、と後に続く)」

彼らがこれまで出会ってきた山形出身の人たちが、どうして訛りを隠さなかった(or本人は隠してるつもりだけど隠せてなかった)のかはわかりませんが、確かに山形の人、県外でもフツーに訛ります。

 

これはこれでめっちゃアリだと思います。

素朴で実直な感じがして、素敵。

 

あれ?東北弁ってすごく魅力的じゃないですか?

うーん、私が訛りを習得できないまま大人になってしまったから、余計にそう感じてしまうのかなあ。